出会いに理屈も糞もねぇ
出会いなんてものがそもそも理解出来ない不可解なものでもう本当にわけがわからないよ、そんな風に思考のおもしろ迷路状態で悦に浸るのは若い内の特権なので浸れるだけ浸ればいいんじゃないかな、そんな訳でぶっちゃけた話出会いなんてものは見る人が見なければ価値のないようなモノであり、本当に求める人がいて初めて価値の生まれるものなんですよね、喩えるなら旧世代のビックリマンシールが一部の人間にとっては数万円出しても惜しくないものである一方でなんのこっちゃ知らんもーんと無知な一般人にとってソレらはどれも等しくアニメ調のキャラクターが印刷されたシールでしかないのだ。(ちなみにキラ=高いと思うのは大間違いなので勘違いすんなよ?)
何故に出会いを求めたのかな?
出会いではもはや『押すなよ』と同じくらいにモノラルモードな出会いと言えば、学校の投稿時になんやかんやあって転校生と事前に面合わせしているだとか前日に1イベント発生してその時点で転校生となんやかんや発生して出会いのフラグが発生するなんてものがマンガやアニメやゲームにおける出会い演出の一般的と言うかお約束なものであるが、しかし現実でいったいこんな事があるだろうか?いいや無い、なぜならば出会いを探す我々自信がどうしようもないまでに現実の世界の人間なのだから、フィクションの2次元世界の妄想出会いに敵うはずもないではないか、そんな訳で自分自身の出会いを求める気持ちの原初はいったいなんだったのかを今一度見つめ直してみるのはいかがだろうかな?
さて、そろそろ行きますか
さてはてまぁココまで振り返ってみるに、そもそもの大元である出会いを探し始めた理由っていったい何だっただろうか?出会いを探す事が一般的にありふれた事すぎて、まるで呼吸をする理由が生存活動に必要不可欠な行為であるかのように、当たり前すぎて当たり前な事を忘れていた、否、考えた事すらなかったなんて人はこの出会いに関した話でも結構あるんじゃないだろうか?しかしまぁそんな事言って出会いを探した理由を探した所で過半数以上の男性は下半身に集中した理由である事は聞く前からわかりきっている事であり『あの子の泣いてる姿を絶対に見たくないんだ』なんてまるで漫画やアニメのような理由であるはずもない、結局我々は種としての生存本能の奴隷なのだよワトソン君。