出会いを探したいのかどうなのか
ミレニアムが到来して既に十数年が経過した、そんな日本の現状はどうだろうか?希望が見当たらない経済に山積みで誰も見ないふりをする様々な問題、そして誰も悪くないよ、運が悪かった、運が悪かったんだよだから皆で仲良く苦しもうぜと言うかのようなフクシマクライシス。こんなんで脳天気に女の子との出会いを探していいのだろうか?いいんです(CVジョン・カビラ)そんな訳で出会いの弱肉強食な世界に放り込まれた我々がするべき事はそれぞれ自分自身で決めれば良い、出会いが不要だと言うのならば出会いを探さなくてもいいがただしホラ、アレだそのなんだ、社会が悪いだとか世界が僕の邪魔をするとか厨二病丸出し恥ずかしい事は言わない方がいいだろうな。
出会いとは弱肉定食なのだ
弱いものは死に強いものが搾取する、コレが日本に生まれた人類に等しく強いられるルールである、そしていい具合に幼少の頃から無力な大人をみて育った我々が今更危機に直面した所で今更何に対して危機感を持てと言うのだろうか?フクシマクライシスについて恐怖し恐れおののけばいいのだろうか?しかし残念な事にフクシマクライシスが起こる前から終わりきった僕らのジャパンでは、今更その程度の事は朝飯前の脅威でしかない、そんなことよりもむしろ我々にとって大事で重要な事とは出会いが見つかるかどうかでありできる事ならば20代の内には一回くらいセックスしないとやばいんじゃね?という想いの方がフクピカ問題よりも大きいのが現実だ。とりあえず野田は今すぐに死ね。
本当に出会いたいのは誰?
この国内の全ての出会いにおいて共通する項目とは、相手に対する想いであり、情熱であり、直訳すればパッションである。コレらが全ての出会いの根幹であり重要なコアでもある、コレに対していかに妥協する事ができるかどうかが、今後の出会いの明暗を分けると言っても過言ではない。しかしだからと言ってコレは出会いに対しての情熱でありパッションである、決して女性のためのものでもなんでもないので勘違いしてはいけない、さもなくば我々に残っている運命は女性の都合にあわせてお金を吐き出すATM化の未来のみである、とりあえず日本において働いてもいない女が財布を管理するという思考が全てにおいて間違っていると思うのだがいかがだろうか?