出会いとは特別なモノなのか?

出会いなんてものは果たしてそんなにも特別なモノなんだろうか?いいやそんな事は無い、むしろ出会いなんてものは100円ショップに並んで陳列されているような見た目カラフルなだけで形みな一緒なプラスチック製のカゴやらケースやらゴミ箱と一緒でありふれたモノなんですよ、そして100円ショップの商品にありがちな『すぐ壊れる』という所まで見事にそっくりなのは言うに及ばず、むしろ出会い系サイトと100円ショップに共通する本質とはまさに『代替え品』の多様性ではないだろうか?つまり関係が壊れたり解消したりしてもお互いに『次の出会い』があるのだ、この人とモノと情報が飽和した世界で我々が真に孤独になりえる瞬間と言えば、会社から帰宅して『ただいまー帰ったよ』の一言に対して返答が一切無かった時くらいのもんだろうさもちろん家族の有無は各自各々の判断に任せるとしよう。

出会いはありふれたモノ

出会いなんてモノは実際には簡単に手に入れる事のできる極々ありふれた代物なんですよ、考え方によっては朝会社に出勤した際に駅のホームでカバンをぶつけておいて謝罪の言葉ひとつもないような異性との邂逅も解釈の仕方によっては出会いと言えるだろう、それと同じ理屈で行けば曲がり角で急いでいるOL風な女性とぶつかりそうになったり回避したルートがことごとく進路を塞ぐ形になってしまった残念な減少だって場合によってはまぁまぁ出会いと言えるかもしれないではないだろうか?(大体、週刊少年ジャンプのステレオタイプなラブコメはだいたいそんなグダゴトから発展して行く場合が多いではないか、うる星やつらなんていきなり地球侵略なのだからさもありなんといった具合だしな)しかし結局のところソレらは一方的な解釈でしかなく、実際に出会いをしたワケでは無いのがなんとも悲しいところである。

出会いなんて実際は・・・

妄想がどこまで発展し、展開していった所でソレがどうしようもないくらいに妄想である事には変わりは無い。つまり要するに僕らがどれほど世界には出会いがあふれていて日々様々な出会いの可能性が生まれては特になにもないまま消滅していっていると主張した所で、実際に出会いを探すために行動しなければ意味が無いのだ可愛い女の子とセックスしたいと思うのなら、我々は立ち上がって自分自身の足で一歩ふみだし、そして自分自身の意志と決断とその腕で出会いを選別し厳選し掴みとってこその出会いなのである、可愛い女の子(^ω^)ペロペロしたいですなんて言ってるだけで、夢も妄想も実現するワケなんてあるワケないじゃないですか。立ち上がれよ童貞野郎。